オペレーティングシステムの仕組み memo

オペレーティングシステムについてもう少しちゃんとやりたいという欲求があり、適当に”Operating system begginner"とググった。そこでOSdev(https://wiki.osdev.org/Main_Page)へ辿り着き、全く私のレベルに沿っていない内容に打ちのめされ、とりあえず別のものを探した。

そこで行き着いたのがこのリンク。

dev.to

そして紹介されていたものがこの本(埋め込もうとするとアフィリエイトになってしまう仕様っぽい。やめたい)。

オペレーティングシステムの仕組み (情報科学こんせぷつ)

オペレーティングシステムの仕組み (情報科学こんせぷつ)

自宅最寄りの図書館にあったのでさっそく借りて読んでみている。

#レベル

各論は細部まで深追いせず、分量が多くならないようにされています。 また逆に、浅すぎて事実の羅列になったりせず、仕組みを理解できるくらいには具体的に書かれています。

この紹介文通り、細かすぎず浅すぎず、それでいてOSの機能についてしっかりと理解できる良い本だと思う。

ただし、ある程度の前提知識が必要。ハードウェアの領域にいくらか踏み込んで話すのと、コーディング用語、open()みたいなシステムコールの名前などが出てくるため、非情報系の人がいきなり読むのにはきついだろう。

ISerに関して言うなら、「計算機構成論」「オペレーティングシステム」さらに「システムプログラミング実験(の前半)」をやった後(つまり3S後の夏休みとか)に読むと、OSに対してよりしっかりとした理解が身につく。私は3Sの途中でリタイアして休学中なわけだが、幸い計算機構成論とオペレーティングシステムは単位を取れるくらいには全体像を理解できていて、あとシステムコールもシスプロで触ってはいたので運が良かった。

OSは深いところでハードウェアとも関わっているが、「オペレーティングシステム」の講義ではハードウェアの領域まで踏み込まないためにどうしても表面的な用語の解説で終わってしまったように思える。この本を読んでいくと、基本的には「あっ、この用語は『オペレーティングシステム』でやった」→(プロセッサやシステムコールなどにも踏み込みながらの解説)→「おお、よくわかる」という流れになる。まだ30ページぐらいしか読んでないけど。

メモ

なお、gdbなどのデバッガではソースコードとの対応を取りながらデバッグできるようになっている。これはシンボル情報を利用しているからである。デバッガを使うときは、機械語命令とソースコード上の位置を対応付けるため、通常よりもずっと多くのシンボル情報を必要とする。

シンボル情報(シンボルテーブル)の使われ方を理解していないためここがわからない。いまちょうどBinary Hacksの方でELFをやっているから、もしかしたらそこで分かるかもしれない。

誰か助けてください

stripコマンドで「unstrippedなコマンドからシンボル情報を取り除いて、ファイルサイズが小さくなるところを見てみよう」という箇所があり、unstrippedな例としてcatが挙げられている。ところが私のUbuntu 14.04 LTSではcatはstrippedなので、これを確認できない。一通り主要コマンドでfileしてみたが、すべてstrippedだった。

誰かunstrippedなコマンドを知っている方がいれば教えていただけるとありがたいです。

Binary Hacks Hack#5 ELF入門 memo

・オブジェクトファイルや実行ファイルはELF(Executable and Linking Format) というフォーマットで規定される。

・ELFフォーマットのファイルは、ELFヘッダテーブルが先頭にあり、プログラムヘッダテーブル・セクションヘッダテーブルがその後にある。

ELFフォーマットのプログラムの構造は下を参照。とてもわかりやすい。

ELF Format

まず、プログラムは複数の「セグメント」から成り、セグメントは複数の「セクション」から成る。

readelf -l 

するとプログラムヘッダを表示できる。各セグメントのタイプやアドレスなどの情報と、それぞれのセグメントがどのセクションを持っているかが表示される。

readelf -S

で各セクションのタイプ、アドレス、etc……の情報を表示できる。

ストリングテーブル

セクションのタイプの一つ。名前が格納されているテーブル。試しに

 $ od --skip-bytes 0x0001a5fc --read-bytes 0xfe -t x1z /bin/ls

すると、

0322774 00 2e 73 68 73 74 72 74 61 62 00 2e 69 6e 74 65  >..shstrtab..inte<
0323014 72 70 00 2e 6e 6f 74 65 2e 41 42 49 2d 74 61 67  >rp..note.ABI-tag<
0323034 00 2e 6e 6f 74 65 2e 67 6e 75 2e 62 75 69 6c 64  >..note.gnu.build<
0323054 2d 69 64 00 2e 67 6e 75 2e 68 61 73 68 00 2e 64  >-id..gnu.hash..d<
0323074 79 6e 73 79 6d 00 2e 64 79 6e 73 74 72 00 2e 67  >ynsym..dynstr..g<
0323114 6e 75 2e 76 65 72 73 69 6f 6e 00 2e 67 6e 75 2e  >nu.version..gnu.<
0323134 76 65 72 73 69 6f 6e 5f 72 00 2e 72 65 6c 61 2e  >version_r..rela.<
0323154 64 79 6e 00 2e 72 65 6c 61 2e 70 6c 74 00 2e 69  >dyn..rela.plt..i<
0323174 6e 69 74 00 2e 74 65 78 74 00 2e 66 69 6e 69 00  >nit..text..fini.<
0323214 2e 72 6f 64 61 74 61 00 2e 65 68 5f 66 72 61 6d  >.rodata..eh_fram<
0323234 65 5f 68 64 72 00 2e 65 68 5f 66 72 61 6d 65 00  >e_hdr..eh_frame.<
0323254 2e 69 6e 69 74 5f 61 72 72 61 79 00 2e 66 69 6e  >.init_array..fin<
0323274 69 5f 61 72 72 61 79 00 2e 6a 63 72 00 2e 64 79  >i_array..jcr..dy<
0323314 6e 61 6d 69 63 00 2e 67 6f 74 00 2e 67 6f 74 2e  >namic..got..got.<
0323334 70 6c 74 00 2e 64 61 74 61 00 2e 62 73 73 00 2e  >plt..data..bss..<
0323354 67 6e 75 5f 64 65 62 75 67 6c 69 6e 6b 00        >gnu_debuglink.<
0323372

と表示される。

改行のせいで非常にごちゃついているけれど、gnu.version とか gnu.version_rとか、そういう名前がこのテーブルに全て格納されていて、たぶん名前を使う際はこのテーブルへのアドレスで参照するのだと思われる。

ここまで(4/24)

調べたいこと

・ストリングテーブルの作られ方。プログラムに使用した変数名とかもここに格納されているという認識でいいんだろうか。そうなるとストリングテーブルの大きさは可変長なんだろうか。それとも十分な大きさのメモリを確保していて、うん千万という変数を作らない限り平気ということなんだろうか?

・e_shstrndxで指定されるセクションに名前が格納されている(e_shstrndxはELFヘッダのメンバ)。ところで、

readelf -S /bin/ls

すると、ストリングテーブルであることを指すタイプ=STRTABであるセクションが、e_shstrndxで指定された".shstrtab”の他にもう一つあるのが分かる。”.dynstr”というセクションだ。これは何のためのストリングテーブルなのか?

気になった記事

qiita.com

イエス or ノーの2択をつきつける質問に「ノー」と言いたい

心底くだらないことにエネルギーを浪費しているな、と自覚しながらこの記事を書いている。

おそらくほとんどの人には全くもってどうでもいいことだと思う(私だってどうでもいい)のだが、国会議員というとても立派な職業についている人たちが世の中には存在する。ごくごく少数の選ばれた日本人しかこの栄誉ある職に就くことはできず、そして会社員と違って任期があり、しかも衆議院議員の場合は任期途中でも突然「落選」という2文字でいきなり職を放り出されたりする、非常に苦労のある職業だ。彼らはこの時期、永田町の国会議事堂であれこれの法案や予算案や時にはそれらと全く関係ないことについて審議し、質問し、答弁し、この国の行く末をよりよいものにしようという素晴らしい努力を重ねている。

そしてこの国の未来を憂う人々は、国会で日々交わされる論戦の一部をニュースなり国会中継なりで耳にして、批判だったり称賛だったり、外野からあれこれとものを言ってその「観戦」を楽しんでいる。そういう人はTwitterで簡単に見つけることができるが、だいたいは自らの政治的主張、あるいは怒りや悲しみなどの感情に同調してくれる議員を支持し、それらを否定する議員を攻撃して元気に過ごしている。

その審議について色々言いたいこと――たとえば日本人の労働環境を悪化させまいと「たたかって」いる議員が質問を締切よりもずっとあとに出すせいで、官僚が深夜まで答弁を書かされていることとか――はあるのだけれど、とりあえずそれはおいておく。

その質問において、「イエスかノーかでお答えください」という手法を使う議員がいる。ひとりではなく、複数(試しに国会議事録の検索システムで「イエス ノー お答え」で検索したらここ5年間で199件ヒットした)。私が目にしたものはその全てが野党議員によるものだが、今の与党の議員も下野していた時代は使っていたのかもしれない。面倒なのでそこまで詳しく調べる気はない。

これが実にくだらないな、と苛立ったので、わたしはこの記事を書くことでそれを発散しようとしている。なぜくだらないのか、あるいはばかげているのか? ひと口で言ってしまえば、「イエスかノーかで答えることは聞き手に推測の余地――それもただの余地ではない、危険な余地だ――を生むから」。

これは全く自明なことだと思うのだが、念のため以下に説明を書いておく。

最初にことわっておくが、私は野党を批判するためにこの記事を書いているのではない(こう書いてもなお、私がこの記事で批判の矛先を向ける政治家の所属する党を攻撃したいのだと勘違いする人は一定数いるのだろう)。単にこういうことにばかばかしさを感じました、ということを書いているだけで、そこに一切の政治的カラーは関わっていない。上に書いたように与党でもこの手法を使ったことのある議員はいるかもしれない。この記事は個々の政治家への呆れを表明しているのであって、政治的には中立だと私は思っている。

とりあえずこの手法を用いる側の手口を書いておく。まず、彼ら(の代表者=議員)は上のように、すなわち「あなたは○○したんですか? イエスかノーでお答えください」と2択を突き付ける。内閣とか大臣とかまたは次官でも、政治を現在担っている側は質問されたらとにかく答えなければならない。彼らはこう答える――「えー、それについてはですね、まず△△ということがございましてですね、これにより、□□というものが発生するわけでございます。ですから……(以下略)」。そしてそれに対し質問した側は、「なぜ私が言った通りイエスかノーで答えないのか!」と憤慨し、「簡単なことだろう!」と批判し、よく嘲笑する。この嘲笑は私がTwitter上で目にしたもの、すなわち有権者のものだが、もしかしたら質問した議員本人も持っているかもしれない。こうして人々は「やっぱり(回答者)は間違っている。まともな受け答えもできない、まったく資質のない奴らだ」という自分自身の主張が肯定されたことに満足し、それをますます「正しい」ものとしてさらに強化していく。

そして最後に私がこれを目にして、ああ、またやってるな、と馬鹿馬鹿しさにかられ、本来療養に費やすべきエネルギーを浪費する。私は本当にTwitterを使うべきではないと思う。この登場人物のなかで最も愚かな人間は間違いなく私だ。

話が逸れた。

私は訊きたい。「あなた(の代弁者)が政権を奪ったとき、もし同じような質問をされたら『イエス』か『ノー』の一言で済ませられるのか? つまり、あなた方が相手に求めていることをあなた方自身は実践できるのか?」と。

分かりにくいので例を出そうと思う。最初からこうしておけばよかった。実はいま、加計学園というひとつの学校法人に関連して首相に疑惑の目を向ける人たちがいる。簡単に説明すると、加計学園が運営する某大学はこのたび数十年認められていなかった獣医学部の新設を認可されたのだが、この学園の学長だか理事長だかが首相の友人だった。そのため、首相がこのお友達のために認可への便宜を図ったのではないか? そうであるなら、これは職権の濫用で、全く許し難いことではないか? という風に問題視されているのだ。

この問題に対して立場を表明することはしない。論点がぶれるし、私が意図しなくてもこの記事を見る目が変わってしまうからだ。

私が取り上げるのは次の関連事項だ:実は全国の獣医師を束ねる日本獣医師会は、獣医学部の新設に強固に反対していた。「獣医学を教える教授は不足しているが、逆に獣医師は余っている。ゆえに獣医学部を作っても満足のいく獣医学教育を提供できないだけでなく、獣医師余りを加速させる」――理由はこんなところだ。この主張の是非も置いておく。

さて、いまの野党のK党の党首であるT氏という議員がいる(念のために仮名にしておく)。このT氏というかK党は加計学園問題を厳しく追及している。今の政権は嫌う人には激しく嫌われていて、T議員もたぶんその例に漏れない。

ここで問題が起こる。

『T議員、以下の質問にイエスかノーでお答えいただきたい。

「あなたは日本獣医師会から献金を受けたか?」』

ちなみに事実として、T氏は日本獣医師会から献金を受けている(重ねて申し上げるが私はこれに対していかなる意見も表明しない)。T氏はひとこと、「イエスであります、議長」とだけ言い、席に着くことができるだろうか?

私はできないと思う。なぜならそんなことをすれば「T氏はカネのために問題を作り上げて追及する、汚い政治家だ」という不名誉な解釈を一部の有権者に為されることは必至だからだ。

このあまりに短い質問文は、これを聞く者全員に詳細を解釈する余地を生んでしまう。「問題に関係する利益団体から献金を受けた」ということと「問題を一議員として追及する」ということは本来は別々に語られるべきことだが、このふたつが繋ぎ合わされて「献金を受けたから追及した」というストーリーが聞き手の脳内で作り出されることは非常に容易い。

これが「イエス/ノー質問」の最大の問題だ。一言で答えてしまえばその仔細は聞き手に委ねられ、時としてそれは回答者に非常に不利に働く。このケースで言えば、質問者の要求通りにイエスかノーで答えた場合、T議員は自らの印象を左右する「なぜこの問題を追及しているのか」について語る機会を与えられない。この短い質問とこれまでの事実から勝手に連想され、組み合わされて出来上がったものを有権者は保持するだろう。

おそらく高確率で、T議員はこのように回答をはじめるだろう――「そもそも献金というものはどの政治家も受けているものであって、私が特別ということはありません。すなわち、今この質問をされた先生方も同じように献金をどこかからされているのであります。ですから……」。これを流暢に言えるとは限らず、間に「えー」とか「あー」とかを挟むかもしれない(それを文字に起こすと、なんだかしどろもどろになっているような印象を受ける)。

T氏は、おそらく「はい、それはイエスです。ただし……」という答え方をしない。それどころか、回答の中に「イエス」という単語を入れることすらも避けたがるだろう。なぜならその部分だけが切り取られ、報道で、あるいは今ならばSNSで、自身に不利な解釈が為されるように拡散される可能性があるからだ。

現在この質問手法を使っている議員たちは、このこと――つまり相手が殆ど確実に質問の要求に応えないこと、そして一見するとそれが卑怯に見えるということ――を分かったうえで、なおこれを利用しているのだろうか? だとするなら、本当に卑怯なのはどちらであるのか?

ああ、この形式の質問を使う人々、そしてそれに眉をひそめず、それどころか「二択という簡単な質問にすら答えられないなんて!」と嘲笑する人々がこの世に存在し、私と同じ重みの一票を持っているという事実が全く持ってやるせない。それともこの私の論理に何か間違いがあるのだろうか、きっとそうなのだろう、そうに違いない。どんな人間――国語ができない人間、デマゴーグに踊らされる人間、そして自らの正しさを絶対として疑わない人間――も票の上では平等という民主主義自体にユートピア思想の片鱗を感じとり、そこから距離を置くという選択。それを選ぶ私はきっと「冷笑系」と呼ばれる人種で、この国をよくしようという熱意のない、ひどく無気力でゆえに無価値な人間なのだと。そして私がくだらなさを感じている人々こそが真の「人間」と呼ばれるべきものなのだと、そう主張したい。

アウトプットしても何も起こらない。この記事を最後まで読む人間はインターネットの海で見かけたひとつの記事で自らの思想信条を改められる人間だからだ。そしてそんな人間は最初からこんな手法を使わないし、これに利用されることもない。

この最後の命題も、一つの記事を読み終えたという特殊な行為からそれをなした人間の一般的な人間性にまで踏み込んだ結論を出しているという点で、明らかに飛躍している。

また心底くだらないことにエネルギーを浪費してしまった。「この記事がひどい! 大賞」があったら自分で最大まで投票したい。

連結リストのデータにポインタを使うのはいけないのか

さっきまでCで連結リストを実装していた。

その際、

typedef struct {

Data *data;
Node *next;

} LinkedList;

というように実装していた。

そしてうまく動作せずgdbデバッグしたりしてたんだけど、いくらやってもうまくいかない。 しかも、ググっても連結リストのデータ型をポインタにしてるものは全く見当たらない。

一体何がいけないんだろう。

C言語のポインタがやっぱりよくわかってなかったんだけどこの記事を書いてるうちにその部分はわかりました! わーい!

C言語の簡単なプログラムを作って構造体とポインタの挙動を調べているんだけど、やっぱりよくわからないところが出てきた。

まず、こう書いてみる。

#include <stdio.h>
#include "test.h"
#include <string.h>
#include <stdlib.h>

int zero = 0;

typedef struct{

    int *x;
} X;

typedef struct piyoo{

    X *piyo;
    struct piyoo *next_piyo;
} PIYO;


PIYO *make_piyo() {

    PIYO pi, *piyopiyo;
    piyopiyo = &pi;
    piyopiyo = malloc(sizeof(PIYO));
    piyopiyo->piyo = malloc(sizeof(X));
    
    piyopiyo->piyo->x = &zero; 
    piyopiyo->next_piyo = NULL;
        
    return piyopiyo;

}

void delete_piyo(PIYO *piyopiyo) {
    
    free(piyopiyo->piyo);
    free(piyopiyo);
}

int main() {

    
    PIYO *piyopiyo = make_piyo();   
    
    printf("piyo %d\n", *(piyopiyo->piyo->x));
    
//  delete_piyo(piyopiyo);

    free(piyopiyo->piyo);

    int y = 3;

    piyopiyo->piyo->x = &y;

    printf("3 %d\n", *(piyopiyo->piyo->x));

    free(piyopiyo);

    return 0;


}

何をしているのかというと、自己参照構造体PIYOを作り、PIYOはメンバとして構造体Xを持っている。このXの中身はint型のポインタだ。

で、いま関数make_piyoPIYOを初期化しょうとしている。このとき、PIYOの唯一の実体であるpiyopiyo->piyo->xの中身を0にしようとしている。

上のコードでは、piyopiyo->piyo->xグローバル変数zeroのアドレスを格納する、というやり方をとっている。

ところが、次のようにコードの該当部を変更するとセグフォする。

*(piyopiyo->piyo->x) = x;

関数make_piyoでは、PIYO構造体としての実体のpiを作り、そのアドレスをpiyopiyoに格納している。で、実体のpi.piyoが指し示しているポインタxの指し示す実体の内容を変えたかった。

本当はわからないので記事を投稿して反応を待とうと思ったんだけど、書いているうちに原因がわかってしまった。 PIYO構造体piが保持しているのはあくまでint型へのポインタ(つまり、アドレスを格納する場所)のみであって、そこに実体のintはない。だから実体に代入しろと言われても無理ですと言われるのは当然だ。

アウトプットしたり他人に説明したりすると理解できるようになる、ということが実験で証明されていた気がする。 アウトプットってすごい。

C言語の構造体のメンバにポインタ変数を使った時の挙動がよくわからない

#include <stdio.h>
#include <stdlib.h>
#include "point.h"

int main() {

Point hoge;
hoge = point_init(0,0);

printf("%d %d\n", *(hoge.x), *(hoge.y));

return 0;

}
#include <stdio.h>
#include "point.h"

 

Point point_init(int s, int t) {

Point p;
p.x = &s;
p.y = &t;
int i = 1;
p.flag = &i;

return p;
}

これはうまくいく。

しかし、

#include <stdio.h>
#include "point.h"

 

Point point_init(int s, int t) {

Point hoge, *p;
p = &hoge;
((*p).x) = &s;
//p.y = &t;
//int i = 1;
//p.flag = &i;

return *p;
}

こうするとコンパイルは通るが、セグフォする。

さっきから考えてるんだけど理由が全然わからない。

理由がわかったら追記したい。(もし分かる人がいたら誰か教えてください)

「アイドル稼業、はじめました!」(岩関昂道先生)感想

「アイドル稼業、はじめました!」を読み終わった。


簡単にあらすじを書くと、主人公・成田利生は公園で出会った女の子に惚れてしまい、彼女が人気女優・瀬戸あおいであったことを知って自らも俳優となってもう一度彼女に会いたいと芸能界入りを志すが、なんやかんやあって男と女を行き来できる身体になり、俳優・成田利生とアイドル・鳴海リセの二足のわらじを履くことになる。途中からリセはあおいの不倫疑惑を打ち消すためにアイドルグループのメンバーと共に奔走するようになるのだが……。

というお話。


とても面白かった。


冒頭の、利生があおいと公園で出会ってから俳優を志すまでで利生のまっすぐさがとても魅力的に描かれていた。そこまでは王道という感じだったのが、受けに行ったオーディションからストーリーが急転回。「演技力もルックスもない利生がどうやって芸能界へ入るんだろう?」と思いながら読み進めると物語がそれまでとは全く異なる様相を呈しはじめたのが面白かった。


主人公の利生は男であり、彼のあおいへの恋がこの物語のきっかけとなっているわけだが、物語中では基本的にアイドルグループ「ガールズ・ジョーカー」(通称ガルジョ)の鳴海リセとして過ごしながら話が進んでいく。リセは憧れのあおいにかけられた不倫疑惑を撤回させるために動いていくのだが、まずこの「謎を追求する」筋が面白かった。スクープの相手であるイケメン俳優の白鳥は、事実無根であるにも関わらずあおいとの不倫を認めて謝罪する。そんなことをするメリットはないはずなのに、なぜ虚偽の不倫を認めたのか?  リセもそして読者の私も最初はちんぷんかんぷんで、ここでかなり物語に。それからリセがガルジョのメンバー、みつき・兎と記者・谷口らの協力を得て危機にあいながらも謎を追究していく過程で主人公たちを心から応援したし、最後に全ての真相を解き明かすシーンはとても爽快だった。


この作品で私が一番胸に来たのは、主人公と兎・みつきの逆境を切り開くパワーだ。彼女は芸能界の掟や大人の汚さがよくわかっておらず「不倫疑惑を撤回しろ」と正面から相手やその事務所の社長、記者から出版社にまで食ってかかり、読んでいるこちらはとてもハラハラさせられた。自分だったらアイドルであることや正面から問いただしても相手は確実に認めないだろうと考え、もっと裏から手を回すのが賢いやり方だと思っているが、けれど彼女たちのそうした愚直さが私にはなぜか魅力的だった。もしかしたら私ならそうして正面から向き合うことを避け、その結果結局何もできないと諦めてしまうかもしれない。彼女たちのやり方は賢明ではないのだろうが、マスコミに否定的に報じられ、相手や事務所社長の怒りを買ってもものともせず自ら道を切り開いていくパワー、その力強さとたのもしさをそこに見たのだ。そんな主人公やみつき・兎の姿に胸を打たれた。


……と思ってたらあとがきで作者の岩関先生がまさにこのことを書いていて、なんだか嬉しくなってしまった。やったー。


それに加えてキャラクターもとても良かった。みつきはストレスがたまるとすぐ過呼吸になり「ヒーッ! ヒーッ!」と呻き出すアイドルに似つかない一面を持った女の子だけど、気が強くてガルジョのリーダーとしてリセと兎を引っ張っていく姿が印象的だった。


そして個人的に大好きなキャラ・兎。普段はほんわかしているんだけど、密教系の新興宗教の信者で事あるごとに怪しげな真言を唱え出すというこちらもなかなか尖ったアイドル。宗教のせいでいじめられたという辛い過去を持ってるけど普段は表に出さない強さ、そしてそんな自分に変わらずに接してくれるリセとみつきを大切に思っているところとか、イメージに反して唄が上手いところとか、ほんわかしてるだけじゃなくて言葉の裏に隠された女同士のファイティングもしっかり理解してる現実にシビアなとことか、リセのことを本気で心配する優しさとか、あとスタイルとかいいところずくめで本当にかわいい。かわいいかわいいかわいい。

本筋とは関係ないんだけど教養の講義で宗教論をとったり、たいていの人が神を信仰してるアメリカに行ったりしてから宗教に対する見方がある程度変わったんだけど、新興宗教の信者ってことを単なるネタとして扱うだけじゃなくて掘り下げてくれて、当人にとっては大事なものというふうにリセが兎ちゃんの信仰を尊重してくれてたところが私的にポイント高かった。


全体を貫く「芸能界は汚い世界なのか?」というテーマにも利生の中ではしっかり決着がつけられていて、とてもよかったと思う。


あおいと利生は最後にやり取りをかわしてこの恋には一区切りついたわけだけど、みつきの利生へのフラグが立ちかけたり、ちょくちょく登場する利生の幼馴染・小春にも何か伏線がありそうで、続きがとても楽しみな作品だった。2巻出てくれ。


個人的にはリセと兎の絡みをもっと見てみたいなあ。スタイルがいい2人がくっついていると本当に最高だし兎はリセに助けてもらってリセ好き好きになってるしリセは兎のスタイルにドキドキするからこの2人が密着してたら両方にメリットあるし世界平和では??  (百合厨でごめんなさい)


あらすじを見たときは女装男子ものかと思ってワクワクしていたんだけど、その期待がいい意味で裏切られたのでよかった。読者を振り回す展開の面白さとか筆力とか、とても実力のある作者さんだと感じた。


岩関先生の既刊、タイトル聞いたことなかったんだけどこれからチェックしたい。