宙ぶらりんの一日

朝とともに私の宙ぶらりんの一日は始まる。

始まる、と言っても、何も起こりはしない。洒落にもならないが、身体もベッドから起こさない。スコップで胸の肉を背中まで抉り取られたような痛みの存在を再確認して、上半身を起こすことが出来ず、また眠りにつく。眠れない日は、仕方なくスマホを見ている。人気のツイートや、まとめサイトはてなのホットエントリだとか、くだらない。心底くだらないと思いながらそれを「食べて」気を紛らわす。刹那的な情報の消費は痛みから瞬間的に目を逸らさせてくれるという効用以外、私のもとにいかなる意味のある経験ももたらしはしないけれど、私は早く時間が経ってほしいと願いながら、そんな非生産的なことに時間を費やすしかない。

十一時になる。身体を持ち上げては痛みのために断念することを三回ほど繰り返して、ようやく髭を剃ることができた。 以前は鏡を見るたびに不格好に膨らんだ自分の姿に嫌悪感を覚えていたものだが、最近はすっかり慣れてしまった。

相も変わらず胸を貫くずっしりとした、しかし目に見えない太い杭の、その圧力を騙しながら家を出た。

駅へ着くと、私はそばのパン屋へまっすぐ入っていった。理由はこの上なくシンプルで、朝から何も食べていなかったのだ。 なぜ朝から何も食べていないのかといえば、痛く、ただ痛く、ものを喉に流し込むことが億劫になるほど痛かったのだ。それが昼になってようやく、食欲がかろうじて上回る。夕方まで何も食べない日も多い。

ところがいざ食べる段になると、滑稽なことに、私は甘い菓子パンや、ドーナツ、そのほか砂糖の塊を混ぜ物で嵩増ししたような、そんなものばかり食べる。馬鹿げている。しかし朝起きてから痛みに苛まれ続けていると、溜まったストレスに身体が悲鳴を上げて、砂糖か油を摂れ、今すぐに摂れ、と叫び出すのだ。これでは太るのも当たり前だ。

私は店を出てすぐ包装を開け、歩きながら今買ったパンを食べたり、酷いときは電車の中でものを食べる。もう私には外からどう見られているかを気にかける余裕なんてものは、ストレスに圧迫されてどこかへ逃げ去ってしまった。そうして残ったものは、ぶよぶよの身体で、公衆の面前でみっともなく菓子を食い散らかす醜い人間だ。

そしてこの上なくおもしろいことに、そうした行為も一切私のあの痛み、心臓を無理やり引きちぎられたようなあの痛みを和らげることはないのだ。そして身体の抵抗し難いストレス信号が消えた代わりに、私の中に自己嫌悪と脂肪が置いていかれ、積み重なっていく。

電車の中ではまたスマホを見て、早く駅に着いてくれと願いながら痛みをやり過ごす。と書いても、ここで1時間ほど耐えねばならない。すると見るものがなくなってくる。けれど気を紛らわすために、同じサイトを延々と巡回したりする。空しい。

東大前に着くと、情報科学科の建物である理学部7号館まで七八分歩かねばならない。私は歩行中もスマホの画面に流れていく情報を必死で咀嚼して、痛みの中で歩くという行為から心を逃がそうとする。みっともない自分がまた嫌いになる。

建物へ着き、学生控室に入ってソファに寝転んだところで、ようやく私は少しほっとする――横になる方がいくらか休まるので、このソファの存在はとてもありがたい。 私は寝転がりながらPCを操作して、ただ検索して出てきた資料と照らし合わせて表を埋めるだけの課題をやった。これで全7回の課題はすべて提出したが、本当に単位が来るのだろうか。なにしろ講義は全く聞いていないのだから。 最近はPCの操作もずっと寝転がってやっている。とにかく身体を起こしているのがつらい――キーボードはとても打ちづらいが。

学生支援室にて週に一度のカウンセリング。担当者は一度変わったが、もう2年間も続けている。このために痛みを我慢して大学へ来た。臨床心理士のUさんはこちらの話にじっと耳を傾けてくれるので、彼と話している間はいくらか落ち着ける。が、やはり胸はずきずきと痛む。 痛みが再発した原因は分からず、進展がないまま部屋を後にする。また学生控室に戻り、別の講義の課題をやる。

学科長の教授と面談した。前回から痛みについての進展がないので、お互い黙ってしまう。結局休んで様子を見るという結論になる。先生が悪いわけではないが、痛みに対して学科ができることは何もないのだ。

同じようにスマホを見ながら東大前まで歩き、スマホを見ながら電車に乗り、スマホを見ながらバスに乗り、バス停から家までの3分ほどの道でも結局歩きスマホで帰宅した。

ベッドに倒れこむ。片道1時間半の間身体を縦にするだけでこんなにも辛いということが悲しいが、けれど慣れてしまった。

朝と同じようにスマホで気を紛らわし、親が用意してくれた夕食を食べ、医者から出された効果の見えない薬を飲み、電気を消した。

明日こそは痛みがなくなってくれないものか。そう思いながら、痛みに顔をしかめてベッドに入る。

けれど、そんな変化が突然訪れることはないと、私は知っている。